活動の目的
本事業は、地質遺産と災害史をモチーフとし、伊⾖半島に対する地域住⺠の学びの創出と地域価値の再発⾒の促進を⽬指している。過疎化する⼭間地域である伊⾖市貴僧坊地区周辺の住⺠の⽅々が美術展、雅楽演奏、ダンス公演を通して地域の新しい価値を知ることで、半ば希望を描くことに消極的になっている地域の未来に対して少しでも張り合いの出るきっかけを作り、住⺠が地域に対してプライドを持つことを促すのが⽬的である。また、美術作品やダンス•演奏などを創作するにあたって、アーティストたちが取材を し、地域を学ぶことで完成させていくプロセスを⼤切にし、作品に深みを与えるのもこのプロジェクトの⽬的である。
活動の内容
本事業は、伊豆市貴僧坊地区の住人からの依頼で行われ、今回の助成対象期間を含め2カ年計画で実施された。1年目の2022年は、貴僧坊地区の周辺地域をアーティストが取材し、また、関係有識者によるレクチャーを受けながら、翌年に実施する美術展、ダンスと雅楽の公演に向けての準備を行うリサーチプログラム。2年目の2023年は、美術展、ダンスと雅楽演奏の公演及び関連イベントを実施した。
【活動1】ダンサー小暮香帆氏による地域住民向けのダンスワークショップ。
期間:2023年9月15日(金)・10月13日(金) 会場:貴僧坊公民館
内容:貴僧坊公民館で月1回開催される周辺住民の体操教室「ロコトレ体操」の場にダンサーの小暮香帆さんが講師となってワークショップを実施。椅子に座りながら上半身をゆっくりほぐし、2人1対になって鏡になったように動いて言葉のないコミュニケーションをするというもの。
【活動2】美術展「うぶすなの水文学」(1)美術展(2)前夜祭(3)ダンスと雅楽演奏のコラボレーション公演
期間:(1)は、2023年10月14日(土)~11月11日(土)29日間。(2)(3)は、ともに2023年10月13日(金)
会場:(1)は、貴僧坊公民館、貴僧坊水神社、民宿カプリコーン、平成森鮮組屯所、井上倉庫。(2)は、貴僧坊水神社。(3)は、井上倉庫。
内容: 今回のプロジェクトのメインとなるイベントであり、水の循環と信仰という広大なテーマで、伊豆の山間地域、貴僧坊及び姫之湯地区を会場とした現代アート展であった。参加した13名のアーティストは、日本画、木工、写真、映像、陶芸、インスタレーション、ダンス、雅楽と多彩でそれぞれが与えられた「水」をテーマに展開するものであった。5つの会場に美術作品が展示され、10月13日には、展覧会の開催開始の前夜を飾るパフォーミングアーツのイベントとして、コンテンポラリーダンスと雅楽演奏を貴僧坊水神社と井上倉庫で開催した。
【活動3】水文学者浅野友子氏×地形研究者鈴木雄介氏の対談「貴僧坊の地で水のふるまいに思いを馳せる」
期日:2023年10月21日 会場:貴僧坊水神社
内容:今回の展覧会のテーマのひとつでもある水文学の研究者浅野友子先生と貴僧坊をはじめとする天城山麓の地形に詳しい鈴木雄介さんの対談で、資料を使いながら水文学の考えや水による貴僧坊周辺の地形地質の造成について語られた。
【活動4】民俗学者畑中章宏講演会「⽔の信仰と芸術」
期日:2023年10月21日 会場:貴僧坊公民館
内容:民俗学者の畑中章宏氏に全国の水の信仰と貴僧坊周辺地域の水の信仰について語っていただいた。中でも、2022年のリサーチプログラムの際に訪れた貴僧坊周辺の地域の水にまつわる信仰に触れながら日本の神話だけではなく世界の神話にも触れる内容だった。
【活動5】地域ガイドによるアートと地形のガイドツアー
期間:展覧会期間中5回 会場:ツアー目的地各地
内容:地域雑学を対象とし、地質・地形や歴史など広くその土地のことを知る松本圭司氏の案内による展覧会開催地域周辺のガイドツアー。貴僧坊水神社を中心に筏場までの地域を散策した。
参加作家、参加人数
【活動1】参加作家:小暮香帆氏 参加人数:ロコトレ体操に参加している地域住民 9月15日17人、10月15日11名
【活動2】参加作家:荒木佑介氏、伊藤允彦氏、BACCO、漆原夏樹氏、千賀基央氏、大久保美貴氏、永冶晃子氏、西野壮平氏、小暮香帆氏、大塚惇平氏、中村香奈子氏、三浦元則氏 参加者数:(1)537人(2)50名(3)42名
【活動3】参加者:浅野友子氏、鈴木雄介氏、イベントに応募してきた一般市民 参加者数:23人
【活動4】参加者:畑中章宏氏、イベントに応募してきた一般市民 参加者数:23名
【活動5】参加者:松本圭司氏 ツアー募集に応募してきた一般市民 参加者数: 26名
他機関との連携
伊豆市貴僧坊地区の住民の皆様には、公民館、貴僧坊水神社をお貸しいただき、また、この地域で森林保全や環境活動に取り組む、一般社団法人平成森鮮組の山下隆氏には、会場の提供だけでなく、地域への広報誌「うぶすな通信」の配布、各種認可手続き、作品制作のサポート、搬入搬出等多大なるご協力をいただいた。
貴僧坊地区のある八岳エリアの各区長の皆様には、広報誌「うぶすな通信」の配布にご協力いただいた。
また、伊⾖市教育委員会、⼀般社団法⼈美しい伊⾖創造センター、FM ISみらいずステーション、静岡新聞社・静岡放送、静岡大学未来社会デザイン機構からの後援をいただき、FM ISには、CMや番組出演などでご協力いただいた。静岡新聞には、アーティスト西野壮平氏の作品制作プロセスの取材などもしていただいた。西野壮平氏の丸木舟の制作には、彼のスタッフだけではなく、修善寺の林業会社アラハラスヤッホの吉田氏や、中伊豆の自然学校またね村のオーナー斉藤氏、姫之湯地区の工務店KINEYA の山下氏、地元のカヌー愛好者などの協力者も加わった。
展覧会の運営メンバーは、会場監視スタッフも含め、おおかたが地域外のスタッフだったが、「ふだんはアートに触れたことはないけど、監視員をしているうちにこの展覧会がどういうものなのか(なぜここで開催するのか、ひとつひとつの作品のテーマなど)がわかってきた」という方や、貴僧坊の自然の中で展覧会が行われることに対して高く評価する方、「なんだかアートはわからないけど、楽しく関わらせてもらった」とおっしゃる方など、展覧会に対する理解や捉え方は多様であった。
活動の効果
今回の活動の前⾝となる2022年の活動では、アーティストによる地域のリサーチ及び有識者によるオンラインレクチャーとその報告を年度末に⾏うという試みをした。
この企画が⽴ち上がった時には、地域の⽅からの協⼒の姿勢は⾮常に消極的なものであった。しかし、このような地域の中に⼊っていくのに、2022年の貴僧坊⽔神社での雅楽演奏は⾮常に効果的だった。最初は、「⼀発だけの打ち上げ花⽕で終わらせるだけだろう?」と不信感を募らせていた元区⻑さんが、開催年の春には、「ぜひ盛り上げてくれ」と⾔ってきてくれ、地域住⺠の展⽰に切り絵を出展してくださった。来客からは、「この⼭間地域にこのような美術展が⾏われていることが奇跡的だ」とか、「よくここで やってくれた。」などの声が聞かれた。また、ダンスと雅楽の公演には、⼩暮さんのワークショップの参加者をはじめ、地域の⽅も多く⾒にきてくださった。
展覧会の期間ひと⽉だけでも貴僧坊地区は普段とは異なる空気が流れたのではないか。特に貴僧坊⽔神社での展⽰は、神像を展⽰するというわかりやすいものだけあってか、地域の⽅だけでなく、この神社に湧く湧⽔を汲みにきた⼈も⾜を⽌めて⾒⼊っていた。 展覧会場で実施したアンケートには、118名の回答があった、そのうち、展覧会に対する満⾜度では、「満⾜」が71名、「やや満
⾜」が27名(83%の⽅が満⾜またはやや満⾜)、「やや不満」と「不満」という回答は0だった。また、スタッフの応対については、満⾜が93名、やや満⾜が13名(89%の⽅が満⾜またはやや満⾜)、「やや不満」と「不満」という回答は0だった。
アンケートの⾃由記載欄から得られた評価のうち特に気になるものは以下の通り(詳細は、別添のアンケート集計結果を参照)
•作品が⼟地と⼀体化していた。会場の⼟地を含め楽しめた。
•⼀つ⼀つの作品の完成度が⾼く、⼟地の神聖さとあいまって、異世界にいるかのようでした。
•各アーティストの質が⾼く⾒応えがあった。貴僧坊という⼟地の⾯⽩さに出会えた。また、この企画がなければ貴僧坊を知ることもできなかった。
•作品だけではなく、地域の歴史や環境についても教えていただき、作品への理解が深まりました。
•作家が⻑い時間リサーチされ、ていねいに作品を作られているのが伝わってきて楽しめました。以上、展覧会に対する個別具体的な評価は、かなり⾼い評価を得たと感じる。
地域からすればこの展⽰が⼀度だけでは終わらず、ビエンナーレ形式でもトリエンナーレ形式でもいいので継続して開催されることが望ましいと考える。そういった気運は地域から起こってほしいが、われわれのプロジェクトは、伊⾖半島各地を転々とすることが
⽬的なので、Cliff edge projectがその役割を担うものではないと感じている。
活動の独自性
Cliff Edge Projectは、これまで、「アートによる災害史のアップデート」及び「地質遺産の再発見」を二大テーマとして美術展の開催を中心とした活動を行ってきたが、今回は、伊豆半島の水の流れという大きな自然の営みをテーマとしたため、これまでのプロジェクトテーマから離れた初めての展覧会となった。
今回の会場のひとつである貴僧坊水神社の持っている条件が素晴らしく、災害をテーマにするどころではなかったと言える。境内に湧水があり、その水で氏子の方々がわさびを育てている。そしてそのわさびで得た収入を神社の維持費にあてているというのだ。このシステムがすでに魅力的なストーリーを持っており、しかも、お祀りされているのが水の神様だと言うのだ。その会場となる地域の独自の信仰と自然科学の持つテーマ性は、この展覧会に他にはみられない特徴を与えていると思う。
「水文学」は、自然界における水の発生、移動、分布を含む多様な水のありようを科学的に分析する学問である。日本でも年間降雨量の多い天城山と一級河川狩野川を中心とした大小さまざまな川の流れ、そして、その流れが太平洋に注いで再び水蒸気となって雨を降らすという水の循環がまさに水文学を象徴しており、この視点で伊豆半島を語ることがプロジェクトの新しい試みとして面白いのではないかと考えた。そして、これまでに水や自然をテーマにしたり、地域の信仰と民俗学をテーマにした経験のあるアーティストに的を絞って出展、出演依頼をし、2022年から地域をリサーチすることや、有識者のレクチャーを受講してもらうことをアーティストに課して、作品制作のための下地づくりをプロジェクト側が率先して行う点がこの事業の独自性であったと言える。
総括
事業を終えてみて、YouTube での記録動画やホームページ上のリサーチプログラムの報告書の公開、報告集の刊行を通じて、この展覧会がどのようなものだったかを広く一般に伝えるとともに、これらの情報を整理しながら、プロジェクトを運営する側として、どうあれば理想的なプロジェクト運営ができたのか、次回以降の展望などを頭に描いている。
これまでの展覧会が、代表者である住のワンマン運営だったこともあり、組織化、運営の効率化は、今回の企画の始まった2022年からの大きな課題だったが、参加アーティストが多くなってしまったり、山間地域での展覧会の集客の難しさ、地域住民とのコミュニケーションの難しさなどほかの課題も出てきた。アーティストにはこまめな連絡を行うとともに、定期的にヒアリングをし、制作状況や搬入出の方法などを確認してきた。また、集客に関しては、これまでターゲットにしてこなかった、地域の商店、公共交通機関などにも働きかけたほか、新聞折込によって伊豆市の広域に広報を行った。地域住民とのコミュニケーションはもう少し注力しても良かったと感じるが、緩やかだが、課題のひとつひとつを解決してきた末に展覧会が開催できたと思う。アンケート結果や来場者の会場での反応を見ていると、展覧会や関連イベントに対する満足度は高かったように思える。2年間の苦労が吹き飛ぶ嬉しい反応だった。