活動の目的
国選定重要伝統的建造物群保存地区(伝建群)にある保存物件を舞台に活動している。特に、岩手県出身の宮沢賢治が農村生活の改善と農民芸術の実践の場として設立した「羅須地人協会」の理想郷を妄想しつつ、現代的解釈を試みてきた。その根幹には「生活そのものを芸術とすることは可能か」という本質的な問いがある。
活動の内容
金ケ崎芸術大学校では、金ケ崎町の掲げる生涯教育の理念を踏まえ、それぞれの興味関心や得意分野を持ち寄った「開校日」を通年で開催している。2019年度も、敷地内の畑で育てた藍で染色をする「藍の時間」や塗り箸をつくる「うるしの時間」など40を超える企画を実施した。城内農民芸術祭は、そのような大学校の日常から立ちあがるハレの場として構想したものである。開幕行事の「神楽の時間」では、県内の神楽継承団体による権現舞を奉納した。会期中には、生活と芸術とが混然一体となった実践に取り組む先人を招いてのプロジェクトを展開した。多くの人々が関わりながら変化していく風景に伝建群の新たな可能性を感じる刺激的な日々であった。
参加作家、参加人数
きむらとしろうじんじんによる「野点」は台風の影響で1日延期しての開催となったが、100名超の人々で賑わった。黒田瑞仁は、伝建群を演出家目線で捉える参加型のリサーチプロジェクトを行った。会期終盤には、矢口克信が野外展示で用いた注連縄を焚き上げる「どんどこ焼き芋まつり」を開き、多くの子どもたちが集まった。
他機関との連携
大学校の運営は、伝建群で活動を行う「金ケ崎まちづくり研究会」や「えぐねの会」などの住民団体の協力のもとに成り立っている。また、芸術祭の実現には東北芸術工科大学の学生有志によるサポートも不可欠であった。
活動の効果
金ケ崎町では、伝建群選定後も生活空間としての質の担保を重視し、観光地化を進めてこなかった。その一方で、近年では地区内の少子高齢化に伴い空き家が増加しつつある。芸術大学校が拠点とする侍住宅も長きにわたって無住状態にあった。今回の芸術祭では、のべ300名を越える来訪者が出入りすることで、人々が集う「家」としての機能が拡張されていった。一連の実践には保存物件の創造的活用モデルとして有効性が認められる。
活動の独自性
城内農民芸術祭という事業名には二つの意味を込めている。第一に冒頭の「城内」は、実施場所がかつての金ヶ崎要害の城下町であることを示すとともに、大学校が位置する自治会の名称でもある。本事業の特徴の一つとして、ほぼ全ての企画を一軒の侍住宅の敷地内で行ったことが挙げられる。大規模化から逆行し、一人の人間が把握し得る範囲での芸術祭のあり方を試みた。
第二に「農民芸術」の術語は宮沢賢治の「農民藝術概論綱要」から援用している。そこには「誰人もみな芸術家たる感受をなせ」という件(くだり)がある。芸術を特別な誰かのものとして独占するのではなく、芸術と生活とが無理なくつながるような状況をつくりだすための実験の場を思い描いた。
総括
城内農民芸術祭にはいわゆる「作品」はほとんど出展されていない。唯一野外作品として展示されていた矢口克信による《風と俗》も、あたかもずっとそこにあったかのように佇む注連縄である。キャプションも置かれていない。その意味において、きわめて地味な芸術祭であった(きむらとしろうじんじんの真っ赤なドレスを除いては)。言葉を換えれば、「見せる」ためではなく、「ただそこにある」だけの芸術祭だったのかもしれない。ここに「農民芸術祭」たる所以がある。
元来、芸術は特別なサービスとして消費する商品としてではなく、繰り返される日常(ケ)から育まれる営みの中にあった。そこでは誰もが意識するしないにかかわらず、文化創造の担い手になり得た。
今回も、庭先に権現様が訪れたり、畑仕事をしたり、器に色を付けたり、家で演じたり、庭を眺めたり、市を開いたり、芋を焼いたり……一つひとつの場面に日常を少しだけ拡張するような風景が見られた。そこでは参加している一人ひとりがまさに「芸術家たる感受」を発揮していたのではなかろうか。
これからも、金ケ崎芸術大学校では日常の延長線上に「芸術がある」という状況を自然体でつくりあげていきたい。
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開校日「神楽の時間」における権現舞の奉納
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きむらとしろうじんじん「野点」点景
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芸術祭の閉幕行事「どんどこ焼き芋まつり」