活動の目的
菓子木型は和菓子の成型に使われる道具であり、菓子の意匠や大きさなどの情報を正確に伝えてくれる資料でもある。しかし道具であるために失われやすく、また基礎的な調査もこれまでほとんど行われてこなかった。近世の砂糖の大きな産地であった四国をはじめとする瀬戸内海をめぐる地域での基礎的な調査を行い、近世の砂糖と菓子に関する文化について考察する。
活動の経過
地域ごとの菓子木型に関する情報をなるべく詳細に把握することを調査方針として、昨年度の四国地方に続き、島根県、山口県、兵庫県を中心に大正期以前に創業した菓子店など菓子木型の所蔵先に基礎調査を依頼した。また文化財に関与している機関にも、近世の菓子木型に関する情報提供を依頼した。
この結果、今年度は10の菓子木型の所蔵先で調査を許可していただいた。各所蔵先では、基本的に菓子木型の計測(各部の寸法と製造される菓子の容量)と写真撮影、聞き取り調査などを行い、あわせてその地域の菓子木型や落雁に関する文献の調査も可能な限り行った。
また、近年、地域を越えて共通する要素が見られることが指摘されている近世の菓子の絵図帳についても一部調査を行った。
活動の成果
今回の調査では山陰地方と山口県・兵庫県で菓子木型の調査をさせていただいた。また、近世の菓子絵図帳についても、可能な限り所蔵先に依頼し、調査を行った。
山陰地方では、主に松江市内で調査を行ったが、古相を呈する菓子木型は散見されたものの、近世の紀年銘を持つ資料は数例であり、山口、兵庫県内においても同様であった。
松江市内の高見一力堂に伝わる「沖の月」の菓子木型には、昭和期の箱書が付属しており、それによると出雲藩の御用を勤めていた三津屋作兵衛が藩命により安政二年に荒川重之助に彫らせたものと記されている(三津屋は後に作兵衛により一力堂と改名されている)。菓子木型裏面には「安政二年卯二月拵之 大工重之助作」とあり、木型職人としてではなく、大工と記されているあたりが興味深い。
また、兵庫県の虎屋吉末には、猩々(しょうじょう)の打出しが伝わっており、「嘉永五年子二月」と裏面に記される。この打出しのように頭部を隅切りするという同様の特徴を持つ打出しは他にも同店に伝わっており、同時期の資料と思われる。
こうした紀年銘がないものの、前年と後年度の調査では古相を示す木型や、職人の銘などが刻まれている資料について確認、調査することができた。
活動の課題
先の戦災や災害などにより、近世の菓子木型は多く失われており、また菓子木型彫刻職人も現在数名しか営業していない。基礎的な調査を早急に行い、各地の記録を残す必要性を痛感した。また、これまでに行った九州を除く西日本の調査では、近代の菓子木型彫刻職人の銘なども判明しており、近代にかけての菓子木型に関する状況についても今後考察を行っていきたい。
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御菓子司 高見一力堂 菓子木型(表)
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御菓子司 高見一力堂 所蔵 菓子木型(裏面墨書)
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御菓子司 虎屋吉末所蔵 菓子木型