活動の目的
人は道具を媒体に環境に働きかけることで歴史を作ってきた。従来から道具による環境の改変は研究されてきたが、環境を知覚し、新たな意味を創出する媒体としての側面を含めた三位一体(機能、知覚、意味)の把握は行われていない。網漁具が、生産を担うと同時に水面下の環境を知覚し、意味を創造する媒体=メディアでもあったことを、瀬戸内地方およびそれが影響した地域の事例より明らかにする。
活動の経過
貴財団の助成等による成果物である拙稿「日本の網漁具の分類」『民具研究』第153号(2016年4月)で、網漁具の分類案の通説である明治期の『日本水産捕採誌』の機能的分類を批判し、三位一体の視点による新分類案を提起した。本年度は、これをもとに、瀬戸内海の伝統的な網漁具を分類し、その種類の違いが、海の環境や魚の生態に関する知覚や、意味創出の過程に違いをもたらすことを、話者からの聞き取り調査により明らかにした。話者がいない場合は、その網漁具が瀬戸内地方から伝播した地域で聞き取り調査を行った。また、網漁具が意味を創出する事例として、網に神が宿るとする網霊信仰や大漁の網漁絵馬など、大漁の信仰や習俗について調査を行った。
媒体=メディアの三位一体の研究は皆無だが、このような視点に立つことで、網漁研究のみならず、メディア全般に関する理論を構築することが可能となる。機能論、知覚論、意味論に新たな領域を開拓し、その三位一体の把握により、技術史に新境地を開くことができる。
活動の成果
新分類案の「囲網」は水面から水底に達する漁網で魚群を包囲捕獲するもので、漁網底部は水底に接しているために水底の地形は、漁網の変形により、水面の漁網上部に伝わり、これに装着された浮樽や浮子の動きとなって現れた。つまり、浮樽や浮子など水面上の漁具により水面下の状況をリアルに知覚できる。また、大規模な魚群を眼前で包囲するために、その躍動感からさまざまな大漁の信仰と習俗が生まれた。「囲網」の原型の佐賀県川副町のタテギーも環境のリアルな知覚がみられ、香川県の仁尾や詫間の鯛縛網や高松のサワラ瀬曳網、愛媛県北灘のイワシ船曳網などでは浮子や浮樽の生き物のような動きが神を感じさせて網霊信仰が発達、瀬戸内地方から山陰の香住町など各地に伝播した。また、大漁の網漁の絵馬も「囲網」に多く、香川県仁尾町、観音寺市、徳島県阿部や美波町、東洋町、高知県夜須町の事例がある。
「敷網」も漁網を海面に風呂敷のように広げ、大規模に魚群を包囲するため、「囲網」同様に大漁を描いた網漁の絵馬を奉納する習俗が発達した。ボラ敷網の話者が瀬戸内地方に見つからないため、ここから伝播した伊豆半島の話者から聞き取り調査を行い、大漁時に反物を配る習俗があることも併せて明らかにした。
一方、「袋網」は底曳網のように水面下に没した漁網の袋で魚を捕獲するもので、漁網を通して環境の様子が直接知覚できず、間接的な知覚による。広島県横島の打瀬網や瀬戸内海から伝播した長崎県彼杵のゴチ網や、福岡県の野北、大島、地島のカナギ網を調査した結果、「囲網」や「敷網」ほど大漁の信仰や習俗が発達せず、過去の経験による間接的な知覚が主流を占めることを明らかにした。
活動の課題
今回は伝統的な網漁具の三位一体の分析により、網漁具=メディアが生産とともに海の文化を育んできたことを明らかにした。今後は近代化にともなう網漁具の機械化=メディアの変質が、環境改変や文化の変質を招くことを明らかにし、漁業における近代とは何かを明らかにしたい。さらにメディア一般に議論を拡大し、メディアと近代について技術史の立場から検討を加えていきたい。