活動の目的
本研究の目的は、中世の大きな画期である14世紀に着目し、陶磁器の出土傾向から、琉球から九州東岸、そして瀬戸内海へ至る海運ルートを探り、瀬戸内海流通への影響を考察することにある。そこには、中世瀬戸内海の海賊が叢生する必然性を外的要因からも検討するという意義のみならず、瀬戸内海の歴史環境が常に外海とのつながりのなかで醸成されてきたという点を検証する意味も持つ。
活動の経過
昨年度に引き続き、基本データの収集と整理により全体像を把握しつつ、注目すべき遺跡の詳細調査を実施した。また並行して当該期貿易陶磁器の実態把握のための調査・見学を行った。
基本データの収集では、昨年度の愛媛県と広島県に続き、山口県、大分県、宮崎県を対象とし、宮崎県はほぼ終了、山口県は主要な遺跡について実施、大分県では現地での情報収集を行った。詳細調査は草戸千軒町遺跡(福山市)と宮崎県の遺跡を中心に、陶磁器出土数の把握、写真撮影、実測等と現地調査を実施した。
当該期の陶磁器調査では、沖縄県の遺跡出土陶磁器の資料調査を実施し、14世紀前半の代表的な遺跡である新安沈船の特別展示を見学した。
年間を通して、貿易陶磁器、中世の地域史や海域史関連書籍を購入したほか、第37回貿易陶磁研究会で成果を発表し(「消費地遺跡からみた元末明初貿易陶瓷の受容と流通」)、論文を準備中である。
活動の成果
草戸千軒町遺跡では、Ⅳ期前半(15世紀後半)の遺構において14世紀後半~15世紀初頭の陶磁器が多数出土していることを確認した。一定の使用期間を経て廃棄されたとみられる。しかし、草戸千軒町遺跡では14世紀後半~15世紀初頭は活動の停滞期とされており、発掘範囲以外での港湾機能の維持を想定しなければならない。
大分県では、中世大友府内町遺跡において、これまで注目されていた16世紀後半だけではなく、現在整理中の遺跡で当該資料が出土していることを確認したほか、臼杵市内でも出土遺跡が散見できた。
宮崎県では、塩見城跡(日向市)と都城跡(都城市)でまとまった出土を確認していたが、これら以外に今江城跡・車坂城跡(宮崎市)、樺山・郡元遺跡・笹ヶ崎遺跡(都城市)等においても一定量の出土があり、少数出土する遺跡が散在する傾向が認められた。出土遺跡は城館中心であるが、集落においても確認できる。
全体として、南下するほど出土遺跡数、出土数が増加する傾向が認められた。当該陶磁器は博多での出土数が限られる実態から、地域における普遍的な出土は、博多を経由しない流通の存在、つまり琉球列島からの影響が想定できる。また、中四国も含めて、14世紀に成立した城館からの出土が多く、南北朝期の動乱を経て、突出した勢力へと統合される前段階の陶磁器流通は、各地に割拠した中小勢力の影響を受けたものとみられる。短絡的な結論は述べられないが、琉球列島からの流通量の増大を受けて流通に関与できたのは各地の中小勢力であり、その結果九州東岸ルートが顕在化し、島嶼部を通過して中部瀬戸内に至るルートが重要性を増し、瀬戸内海流通も多様化の様相を帯びていったことが推定される。
活動の課題
集成すべき遺跡が多く、不完全となった地域があり、内容の検討も限定的となったため、今後も継続したい。宮崎での卓越は明らかにはなったが、出土するのは消費地であり、港湾などの流通拠点との関連について検討が課題である。九州西岸地域や薩南諸島にも出土のまとまっている遺跡があり、比較が必要である。碗・皿以外の製品も検討課題である。
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塩見城跡出土青瓷碗
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志布志湾に面する内之浦
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新安沈船特別展示