活動の目的
本研究の目的は、中世の大きな画期である14世紀に着目し、陶磁器の出土傾向から、琉球から九州東岸、そして瀬戸内海へ至る海運ルートを探り、瀬戸内海流通への影響を考察することにある。そこには、中世瀬戸内海の海賊が叢生する必然性を外的要因からも検討するという意義のみならず、瀬戸内海の歴史環境が常に外海とのつながりの中で醸成されてきたという点を検証する意味も持つ。
活動の経過
まず愛媛県内における貿易陶磁出土遺跡の調査を開始し、海賊の本拠である芸予諸島能島城跡の資料調査を行った。次に愛媛県南予地域から高知県南西部の出土資料と現地調査を行った。夏には中世の代表的な港である広島県尾道中世遺跡と福山市草戸千軒町遺跡での現地および資料調査を実施した。これらを経た後、貿易陶磁器出土遺跡について、基本データ収集と整理に着手した。また、一方では愛媛県南予地域と高知県南西部の貿易陶磁器の出土傾向は、対岸の宮崎県から鹿児島県南東部と連動しているとの見通しを持ち、宮崎県の港湾調査と遺跡、出土資料調査を実施した。さらに、より広範囲の貿易陶磁器の様相を把握するために、大阪と堺での研究会、博多での遺物検討会に参加した。年間を通して貿易陶磁器、中世の地域史、海域史等に関係する書籍を購入、あるいは必要に応じて複写した。愛媛県南予地域の貿易陶磁器については論文として公表した(3月25日刊行『中近世陶磁器の考古学』雄山閣所収)。
活動の成果
瀬戸内海沿岸部における貿易陶磁器出土遺跡のうち、愛媛県、広島県の資料を集成し、山口県については確認を行った。また、尾道中世遺跡と草戸千軒町遺跡では資料を実見した。その結果、以下の点が指摘できる。多くの遺跡から出土するのは中世前半期の貿易陶磁器である。現時点では未だデータ整理の途中であるが、概ね12世紀から13世紀前半にかけて認められる白磁や青磁の碗・皿類を出土する遺跡が最も多い。この段階では山陽(広島)と四国(愛媛)において明確な差は明らかにできていない。13世紀後半以降、貿易陶磁器の出土量は減少するものの、尾道中世遺跡、草戸千軒町遺跡など山陽側の限られた遺跡では一定量の出土が認められる。愛媛県では当該期の貿易陶磁器がまとまって出土する遺跡は認められない。14世紀前半にはさらに出土量は減少する。草戸千軒町遺跡においても出土点数は限られる。愛媛県ではこの頃の貿易陶磁器はほとんど出土しない。変化が認められるのは14世紀後半である。全点調査ができた草戸千軒町遺跡において、当該期の貿易陶磁器は急激に増加する。海賊の遺跡である能島城跡では、当期以降貿易陶磁器が継続して出土する。
これまでの研究により、14世紀後半の貿易陶磁器は、琉球王国成立前の沖縄本島において多量に出土し、日本国内への貿易の窓口であった博多遺跡群では出土数が少ないという特徴が明らかになっている。今回の調査では、草戸千軒町遺跡以外に、愛媛県南予と高知県南西部の幾つかの城跡および、宮崎県塩見城跡、都城跡などで一定量が出土しており、琉球から北上して日本へと向かう流通の流れが、博多への一元的なものではなく、九州東岸を経て中部瀬戸内に向かっている可能性が指摘できる。
活動の課題
貿易陶磁器自体の変遷の研究を進め、出土遺跡の時期ごとの分布を、範囲を広げて確認すること。14世紀前半と後半、あるいはその前後の貿易陶磁器の出土地点との関係を明らかにすること。碗皿などの雑器だけではなく、良品の出土傾向を確認すること。海賊の遺跡の調査成果、あるいは文献からみた動向と、貿易陶磁器からみた瀬戸内海流通を比較検討すること。
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能島城跡。14世紀後半以降貿易陶磁器が出土する
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板島城跡(愛媛県宇和島市)出土貿易陶磁器
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日向南部の港。油津、目井津、外浦と連なっている