活動の目的
人と物は移動する。人間は、人や物を移動させるために運搬具を作り、物質文化として発展させてきた。そして人間は、水上運搬具として船を作った。物流の原動力は海にあることは今も昔も変わらない。
本研究では瀬戸内海沿岸で出土した古代木造船の構造を復元し、瀬戸内海における海上活動の実態を明らかにする。
活動の経過
4月に古代木造船の出土報告資料を収集し、弥生時代から古代にかけて検出された準構造船の資料を抽出した。
5月に東京都において和船研究者松井哲洋氏と木造船における舷側板の緊縛方法や船釘について議論した。
6月には福岡県糸島市潤地頭給遺跡出土準構造船を熟覧し、簡易計測を行った。
類例調査の過程で新潟県において大量の古代木造船資料が出土し、本研究で重要な準構造船資料が多く含まれていることがわかった。8月に新潟県の類例調査を実施した。
こうした調査成果をとりまとめ、10月3日名古屋大学にて開催された海洋考古学会において、「瀬戸内海における人間活動と木造船」と題して、研究の途中経過報告を行い、古代の準構造船について多角的に議論した。
またこのときに発表した内容の要旨を英文翻訳した。来年度のポスターセッションに活用する予定である。
活動の成果
資料調査を基盤に弥生時代から古墳時代における古代木造船の変遷を明らかにし、瀬戸内海における海上活動の実態を探った。
まず「オモキ」の木取りに着目し、今まで曖昧だった準構造船と構造船を再定義した。刳り抜き材の外表面を残した部材を「オモキ」にした木造船を準構造船とし、整形材を「オモキ」に使用した木造船を構造船とした。そして弥生時代から古代にかける木造船を丸木船と四つの準構造船に分類した。昨年度に実見済みの大阪湾沿岸を中心とした久宝寺遺跡や蔀屋北遺跡などの出土準構造船の資料に加え、今回、北部九州の潤地頭給遺跡で出土した良好な準構造船資料を実見した。各資料には共通した舷側板の緊縛技法があることを発見、瀬戸内海の東西で同じ技法を共有する遠距離移動の準構造船の存在を明らかにした。さらに同様の舷側板緊縛技法は日本海を挟んで朝鮮半島でも見つかっていることを突き止めた。それは韓国金海鳳凰洞遺跡で出土したクスノキ製舷側板と、準構造船を転用した木棺が出土した韓国昌寧松洞7号墳である。いずれも日本海を渡って朝鮮半島に辿り着いた遠距離移動の日本の準構造船である。
次に瀬戸内海における海上活動の原理を、木造船の航行能力、沿岸に分布する遺跡の動態から検証した。初源的な海路は、日常における往来頻度の累積の中で生まれ、船舶の航行能力に限界がある古代においては自然に常態化した交易路として生成した可能性を予察した。
以上、古代木造船の変遷を明らかにし、緊縛技法の共通性から朝鮮半島を含めた長距離移動する瀬戸内海の準構造船の存在を指摘した。また日常生活領域の連鎖が海上交通の基層であることを明らかにした。
活動の課題
今回、韓国の報告書から抽出した古代木造船(韓国金海鳳凰洞遺跡と昌寧松洞7号墳)は、未だ実物を詳細に熟覧していない。今後、現地において実物を精査し、日本出土の準構造船との異同を明確にし、東アジア的視野で古代木造船を検証することで、日本、瀬戸内海出土の準構造船の位置付けを行っていきたい。
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和船研究者松井哲洋氏との協議風景(東京にて)
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福岡県糸島市潤地頭給遺跡出土準構造船
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新潟県で出土した準構造船の実測風景