瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

塩飽大工の技術・技能特性に関する調査研究

塩飽大工研究会、中国職業能力開発大学校 石丸 進

実施期間

活動の目的

本調査・研究は、船大工から堂宮大工・家大工、それから神戸の洋家具産業の起源に貢献した、塩飽大工の「技」とはどのような特性を持つのかを明らかにし、塩飽大工を生み出し、かつて存在した塩飽工業補習学校を塩飽木工塾(塩飽大工伝承館)として復元し、失われつつある「木工技術」と「職人気質」とを現代に伝承し、技術(技能)と芸術とで島嶼の振興に貢献することを目的とする。

活動の経過

豊臣秀吉や秀次の朱印状で船方大工として徴用された塩飽大工の、軍船の建造と名護屋築城作事との関わりを検証した。本島笠島地区の伝統的建造物厨子二階は、上階を塗屋造りとし、虫籠格子(むしこまど)で格子表構えとする町家形式の入母屋造、切妻造、本瓦葺、土壁構えの民家である。
その小屋組は、曲がりくねった松の登り梁に、梁算段の墨付技術が見られ、本島に在住する唯一人の高島昭夫棟梁に梁算段技法などを直接聞き取り、製作・施工技術・技能を記録してまとめた。
町家形式の民家の表構えは、大工の最大の楽しみと腕の見せ所である。笠島地区の格子の特徴を実測調査し、格子の保存や修理の現状を探った。
「木工技術」と「職人気質」を現代に伝承し、技術と島嶼の振興に貢献するために、塩飽木工塾(塩飽大工伝承館)の復元を計画した。
神戸洋家具の起源は,1877(明治八)年創業の塩飽出身の船大工「真木徳助」による「真木製作所」の開業に起因し、塩飽大工の流れを受け継ぐ「神戸ものづくり職人大学」を開講している。

活動の成果

塩飽担当支配役の寺沢志摩守広高は、朝鮮出兵時、兵站担当であり、570余人の塩飽船方大工を名護屋築城と軍船の造船に7年にわたり徴用し、塩飽大工との関わりがある。塩飽本島内には塩飽大工が建造した、13の神社と廃寺を含めて24の寺院がある。本島内の建造物は、千歳座、塩飽勤番所、制札場、夫婦倉、泊民家群、大浦民家群、生乃浜浦民家群、そして伝統的建造物群保存地区の町家形式民家である。小屋組には、船の基本構造の竜骨、肋骨と建築の梁との形態的な関わりも見られる。格子(こうし)では、親子千本格子、糸屋格子の一本通三本切子や二本切子に笠島地区民家の特徴があり、京格子以上の技がある。持送には曲線の柔らかな彫刻美の木工の技に特徴がある。
塩飽の大工は、江戸幕府大棟梁の平内家伝来の木割書『匠名』五意の技術を受け継ぐ大工集団であり、時代背景から、船大工から宮大工・家大工と技術・技能の変化を余儀なく形成された。「人名」制の特権意識と「大工職仕」としての誠実性、研究心、器用で工夫に富む大工集団の「気質」と「技能」で評価される。その教育訓練は、年長大工が島に帰ると熱心に大工の技術と気質を教え込んだものとみられる。
塩飽本島の御土産品として、クロマツ、モッコク(木斛)、スギ材など建築用材を使用した木製品のデザイン・試作を行った。本島での「ものづくりセミナー」は、本島中学美術・技術室で計画したが、高島昭夫棟梁の体調不良などの理由で本年度は実施できなかった。

活動の課題

塩飽大工の技術・技能特性を明らかにし、現在の技術や芸術として再生するために、かつて存在した塩飽工業補習学校を塩飽大工伝承館として復元し、失われている「職人気質」と「木工技術・技能」を現代に伝承し、島嶼の振興を目標とする。木工の伝承と交流を目的とした「ものづくり職人大学」の創設を目標にする。

  • 丸亀市本島「最後の塩飽大工」とうたわれる大工棟梁である高島昭夫氏

  • 笠島地区に見られる代表的な格子

  • 塩飽大工伝承・交流館の建物。工房は多目的室で、様々な行事に柔軟に対応できる空間を提案