活動の目的
児島湖および児島湾周辺の生活者への聞き取りと文献調査を行い、かつて広大な干潟を抱えていた児島湾沿岸で営まれていた漁撈生活者が持っていた水辺への意識と現実に遠のいてしまっている水辺への意識を繋げる、変遷の歴史資料を作成する。また、聞き取りという活動を通して児島湖/児島湾沿岸生活者の意識を水辺に呼びもどす試みとする。
活動の経過
児島湾の最東端に流入する吉井川河口にある永江川河口湿地は、現在では淡水湖の位置に広がっていた風景を残す塩性湿地である。児島湾、瀬戸内海のみならず、日本中の至る所で見られたはずの、この塩性湿地(いわゆる葦原)は、そこに棲息する生物群集とともに非常に貴重な存在になっている。干潟生物の生息地保全は人間生活にとっての価値観と直結していないため、保全は非常に難しい。現実には低平地の防災を理由にして湿地面積は縮小の一途をたどっている。私は、この現状と、児島湾の干潟がたどった環境変化について地元の子どもたちに伝える活動を行ってきた。この資料を整える中で、湿地周辺だけでなく、広く児島湾/児島湖沿岸の人々の意識を水辺に近づける必要を痛感した。そこで、まず、児島湖誕生前の児島湾の干潟環境の変遷と現在の人々の意識調査をあわせて行うことにした。
活動の成果
干拓によって児島湾の影も形も失った、かつての沿岸地域で実際に生活している人々に、「アンケートに回答する」という形式で、自分たちの生活にある現実の水辺と、希望する水辺の風景を思い描いてもらった。アンケートは7枚つづりの物を用意し、できるかぎり対面あるいは、それに準ずるスタイルで記入してもらった。そのため、記述式回答の項目は、回答率が低くなる一方で、多くの人々から効率よく聞き取りを行うことになり、児島湖に干潟が存在した頃の生き生きとした情報が多く寄せられた。アンケートは、岡山市南区を中心に公民館の協力を得て行ったため、普段は公民館の中だけで共有されるに留まっている情報には非常に貴重なものがあり、加えて、言語化されていない細かな事実が数多くあることを知った。このことから、教科書や歴史年表からは見えてこない、かつての児島湾周辺にあった風景がたくさん見つかり、当初予定していた簡易な配布物では伝え切れない分量の情報を得た。そこで、配布物に代えて報告会にて、本活動で収集できた昭和30年前後の写真(約30点)を展示し、説明を行った。参加者には、一方的に配布するパンフレットよりも関心を寄せ、新たな発見をしてもらえたと思う。本年の活動の一環として、有明海・諫早湾における聞き取りを行った。締切堤防完成時期以外は、環境や、干拓まで続いていた漁業従事者の船舶の型式、干拓地の水問題や調整池の水質問題などは予想していた通り、児島湾と酷似していた。聞き取りに協力してくれた人は約6名で、現在、裁判に加わっている漁業者、陸に上がった牡蠣小屋事業者、元タイラギ漁師、漁船の修理工などであった。このほかにも、現地では折に触れて「諫早湾はあなたにとってどんな湾か」を尋ねて歩いた。共通していたのは、「海はあったほうがよいし、堤防は開けたほうが生き物は増えることはわかっているけれど、今さら仕方がない」という内容のものだった。児島湾/児島湖周辺でよく聞く言葉や「締切堤防」という単語への反応のしかたも似ているが、諫早には児島湾でも行われていたはずの干潟漁民の写真が数多く残されており、人々の記憶にはまだ新しかった。
活動の課題
これまでは、締切前の児島湾干潟および現状に関する資料収集が先行しており、発信の場所や方法の工夫が不足している。今回、配布物(展示物に変更)を作成する中で、児島湾の干潟環境の変遷とそれを取り巻く人々の生活の延長上に現在の児島湖なり児島湾の水辺があるということを、一番届けたい子育て世代よりもさらに若年層への発信が課題として明白になった。