活動の目的
本活動は島に関わりがある芸術家が継続して来島し、表現行為を通して、過疎地といわれる島の豊かさについて共に考える「創造のコミュニティー作り」を目的とする。廃校となった粟島中学校を活用し、島の文化遺産、自然物、造形作品などを保存し、それらの資料を閲覧できるスペースを広く公開することで、粟島の歴史を広く伝えることを目指す。
活動の経過
2014年5月2日-6日、三豊市文化政策課、島民代表者とミーティング。研究所となるスペースの状況の把握を行い、活動計画について了解を得る。
7月12日-27日、研究所開設に向けて物品の移動、清掃、ピザ窯の作成を行う。島の海岸清掃活動にも参加し、島の美化活動に協力。研究所の整備では、島内に残る貴重な物品や資料を収集し、展示品の陳列を行う。また、スナメリの骨格標本の作成を依頼されたため、神戸市立須磨海浜水族園の研究員のアドバイスのもと、標本作成に取り組む。
9月初旬、研究所公開を前にwebサイトの開設。海外への発信ももくろみ、英字表記も付す。
10月18日-26日、粟島AIR制作発表会のオープニングに合わせ、粟島研究所公開展示。8日間で400名ほどの来客。オープニングイベントとしてピザ窯を用いた「島民おもてなしピザパーティ」を行う。ライブ(坊主バンド)や獅子舞(粟島獅子保存会)などの催し物を行い、島民と島外の人たちが触れ合う一日となった。
活動の成果
活動の初年度となった今年は、施設の基盤整備として、長年手つかずのままであった調理室の清掃を島民と共に行い、学校に残された貴重な資料や標本物などを陳列し、島の歴史を保存するスペース“粟島研究所”を作った。埃に埋もれた品々を掃除する作業は、大変な労力を要するものであったが、島民の全員が通った中学校での作業は、思い出話などを交えながら、島の時間を遡っていくような体験となった。
本企画のもう一つの柱であるピザ窯製作は、「島の風土から生まれる食事」を目指して、島にあるものだけで作られた。かつて瓦産業で栄えた島の材料を生かし、海岸線に打ち捨てられた廃瓦と山の粘土とを用いて作られた窯は、粟島独自の創作物となった。
春から秋にかけて研究所の整備とピザ窯製作を終えて、10月に研究所開設のオープニングイベントを開催。イベントには島内外から多くの方が手に手に差し入れを持って足を運んでくださった。オランダのアーティストが送ってくれたチーズに島のハーブを添えたマルゲリータは、この島の交友関係が凝縮された一品となった。島の土と薪の香りが作り出すピザは集う人々の気持ちを一つにつないでくれたように思う。宴会の宵に開催したライブ演奏では、現役のお坊さんが組織する“坊主バンド”がコントを交えながらの演奏を披露する。「ライブなんて初めて」という島のお婆さんたちも、お坊さまの愉快な説法が入り混じる音楽に抱腹絶倒の様子。ライブ後には粟島獅子が舞を披露し、新旧交えた出し物が粟島の夜に彩りを添えた。
本企画で行ったことは島民にとっては生活のほんの一部分に過ぎない。それでも縁のあるものが島に戻ってきてくれることが何より嬉しいと笑顏を見せてくれた。このささやかな活動も島でのゆったりとした時間のように、長く深く醸成してゆくことを願いたい。
活動の課題
この活動を始めるとすぐに、島の方々から、「うちの蔵も見て欲しい」との声をいただいた。そこには50年以上前の品々が埃をかぶったまま放置されている。今年、我々が整理することができたのはそのほんの一部である。それら貴重な資料を整理し、粟島の歴史遺産を広く公開するために保存してゆきたいと考えている。