瀬戸内海地域振興助成成果報告アーカイブ

女木島オオテの調査及び基礎資料の作成

愛知県立芸術大学 水津 功

実施期間

活動の目的

香川県高松市の女木島(人口172人、2.67km2)は、地形に起因する局所的な強風(オトシ)が冬の間に発生するため、屋敷を囲う防風壁(オオテ)が発達し独特の景観を形成している。近年は、産業の衰退や人口の減少、高齢化等の問題が深刻化し、離島振興法の指定を受けるほどになった。そこで香川県は平成25年の離島振興計画で、既存の観光資源に加え瀬戸内国際芸術祭を機会に形成された地域コミュニティと県内外の芸術家ら多様な主体との連携を支援し、文化芸術の創造性を活かしながら発展を目指すという対策を発表した。オオテは女木島固有の景観資源で、瀬戸内海洋文化圏の重要な文化資産であり、保護や保存的利活用が必要である。そのためには、正しい理解と記録の共有が急務であると思われる。本研究は、女木島の東浦地区に見られるオオテの実態を把握すること、石種や工法や特徴を明らかにし、島外の事例と比較することによって発生や由来について考察すること、石積の正確な3次元情報を取得してアーカイブ化することで、今後の保全や利活用を推進し、生きたオオテの存続を支援することを目的としている。

活動の経過

研究は以下の3つの項目について行うこととする。
1 オオテの特徴、由来、工法の考察
2 オオテの規模と分布および、集落の空間構造との関係の考察
3 オオテの形状の正確な3 次元的な測量

活動の成果

1-a 特徴
「オオテ」は口伝であり、どのような字を当てるのか誰も知らない。島民によれば、その堂々とした様相が城の大手門に似ているからという。石は島の山腹に転がっている黒い石で、それを積んで作った。最近はその石も少なくなり採取することは禁止されている貴重な石だということである。黒い石とは讃岐岩質安山岩のことで、カンカン石と呼ばれているサヌカイトと同質のものである。その野石を乱層積みにし、目地をモルタル等で埋めないで空目地にするのが基本であるが、後に目地詰めした例も見られる。高さが3~4mに達する大きなものは、反りが見られる。
野石乱層積というのは台風や地震や老朽化に弱く崩れやすい。崩れればまた積み直すのである。しかし不整形の野石を上手く積む技術を持った島民や職人はもう皆無で、これを全面的に花崗岩で作り直すのは裕福な人で、普通は積みやすい切石にしたり、コンクリートにしたり、壊れたまま放置している。最初黒かった石積に徐々に白や黄の花崗岩が混ざって今日の姿になった。変化しない形を保つのは大変難しいことである。さて、石の文化をもう少し広い範囲から見てみると、女木島という島は、実に多くの採石地と石丁場に囲まれて(東2004)、石積壁を建設するには好都合の立地であることが判る。にも関わらず、わざわざ積みにくい讃岐岩系安山岩の野石を使うのは何故か。城の石垣とは異なり、集落の普請であるから石材を建設現場で調達する経済的理由が最も有力であろうが、一方で文化技術の交流伝来という観点からも考えてみる必要がある。
1-b 由来
オオテの由来に関しても名称と同様謎が多い。まず、どのようなルートで伝来したものなのかを考えてみたい。女木島の西方20~40kmにかの塩飽諸島がある。一般に塩飽諸島は海賊島として知られており、時の権力者が瀬戸内海を治めるのにしばしば水軍として利用したほどで、特権的な地位を築いていた。江戸中期を過ぎると廻船業も衰退し、優れた船大工技術を持つ人々はしばしば瀬戸内海近隣諸国の神社仏閣等の建設に出稼ぎにいった。これを塩飽大工と呼び、女木島もこの影響を受けた可能性がある。塩飽諸島の一つ高見島は、女木島と同様、山頂付近より讚岐岩質安山岩を産出する(長谷川、斎藤1989)。高見島の集落は傾斜地に土留めを築き、わずかな平地に家屋を建てた階段状の集落で、土留めの石積は讃岐岩系安山岩の野石を乱層積にする。野石乱層積は隅角が作りにくく強度がでないので、隅角部分だけを花崗岩に変え、補強するものが多く見られた。(写真2)こうした部分補修は、決して金を惜しんだのではなく、少しでもオリジナルの讃岐岩系安山岩の石積を残そうとしているように見える。
また、女木島のオオテには、石垣の隅角頂部の天端石に尖った返しのある意匠的特徴が見られるが(写真3)、同様の意匠を高見島の石積(写真4)にも見ることができる。写真4の屋敷は、石積みの全てを花崗岩による技巧的な谷積みに作り替えており、野石乱層積とは対照的に見えるが、隅角頂部の天端石の意匠は継承されている。
韓国、済州島の防風石垣を調査した漆原(2007)は、防風石垣の必要性を家屋の伝統的な茅葺き屋根と関連づけている。昭和初期に撮影された女木島の写真(注2)を見ると、瓦屋根に混ざって、まだ萱葺き屋根が残っていたことが確認できる。しかし、オオテが一体いつ頃作られたのか、その成立時期を特定するには至っていない。女木島のオオテと高見島(塩飽諸島)の石垣との間には(1)讃岐岩質安山岩であること、(2)野石乱層積であること、(3)天端石に特徴的な意匠があること、(4)讃岐岩質安山岩に島民がアイデンティティを感じていること等の共通点があった。研究者はこれらが、両者の影響関係があったことを示しているのではないかと考えている。また、工法に関しては十分な情報が無いために今回は割愛する。
2-a オオテの規模と分布
集落内の高さ0.5m以上の自律する壁体を全て計測した。オオテの定義は曖昧であり、例えばコンクリートブロックの壁も、ある時期にオオテの安価な代替物として置き換わった可能性があるので、調査対象に含めた。図は、オオテの高さ(規模)を線の太さで表している。漆原(2007)は韓国の済州島の防風石垣の特徴として、海岸に近いほど石垣が高く、内陸側に入るほど低くなることを指摘しており、女木島のオオテと一致している。一方、済州島の石垣の隅角は全て曲率を持った丸い隅角であるのに対し、女木島や高見島は直線的な隅角である。いずれも固く重い野石の乱層積でありながら対照的である。形の定まらない野石の乱層積は、鋭角な隅角を作るには高い技術を要する。女木島や高見島が隅角を丸くしなかったのは、それだけ平地が少なく貴重であったためではないか。無意味に技術を誇ったのではなく、狭い土地を最大限利用するためには、どうしても高い技術が必要だったと考える方が納得できる。
2-b 集落の空間構成
日本のコミュニティは山宮、里宮、田宮の3つの点を結ぶ線的で時間的な軸を有しているという。(注1)そのような空間構造を意識して女木島東浦地区を観察すると、山宮に当たるのが円山古墳、里宮に当たるのが住吉大神宮、田宮(港)に当たるのが白砂松林を抱く八幡宮ではないかと思える。これらはほぼ一直線に山と海を結んでいる。(図2)八幡宮は広い境内を持ち、その大部分の白砂と松林はかつて墓地であった。塩飽諸島の高見島には砂地に墓石が並ぶ全国でも珍しい両墓制の墓地がある。土葬を廃止した今日においてもその古い習俗形態を見ることができるが、女木島の旧墓地がどのようなものであったのかは調べてみる必要があろう。松本(1979)は、塩飽諸島櫃石島の集落調査の中で、神社に隣り合って墓地と寺があるという位置関係には、自然神と祖先神が未分化で古い信仰形態を想起させるという。この信仰上の軸に、溜池を起点とした水の軸が一致する。さらに、郵便局から海に延びる道の延長上には、かつて船着き場があって、集落の中心はA のエリアであったが、墓が移設され、フェリー発着場や拡大した港湾機能をBエリアに作った。外部者は集落の中心をBエリアと思うが、現在でもコミュニティの中心はAエリアである。2年に一度の住吉大神宮の大祭、小学校、運動会、文化祭、コミュニティーセンターはすべてこの軸の上にある。風の届かない穏やかなAエリアを共有空間とし、強風にさらされるBエリアに住居を配置するのを、奇異に感じるのは、我々がコミュニティの重要性を見失いかけている証拠なのではないだろうか。個々の住居より、コミュニティを大切にする社会であったからこそ、個々の生活を風から守ってやらねばならなかったのではないか。オオテはそのような価値観から生まれたと考えることができないだろうか。
3-a オオテの形状の3次元的計測
オオテの形状は非常に複雑で高さや厚みも一定しないため、それ自体に軸芯を見いだしにくい。手で計る人海戦術は途方も無い時間を要するうえに欲しい密度の情報が期待できない。石積の表情には、技術的、意匠的、歴史的な情報が多く内在しており、組成している石の一つ一つを記録したい。トランジット等での計測内容ではこうした情報をフォローできない。最も信頼性が高いのはレーザー測量で点群を得る方法であるが、大掛かりでコストも高い。また、オオテは狭い路地の中に展開するので、引きが必要な機材は機能しない。こうした状況を鑑みて、測定方法の候補に挙がったのが、民生用デジタルカメラFinePix REAL 3D W3であった。撮影したステレオ画像からPC上のソフトウエアによって計測対象の寸法計測、3D形状を出力する3D計測システムである。ワンショットで位相上の点群データを取得できる(写真5、6)高速性と、小型で路地にも持ち込める機動性が評価した点である。しかし、長く折れ曲がったオオテを撮影するには、撮影を分割して行い、後でそれを繋ぎ合わせる必要がある。複数の立体データを合成するという機能が、今回最も重要なキーとなった。
3-b  垂直面の撮影
最初、オオテを撮影するのに画像の重なりを30%程度取りながら、水平移動すればよいと考えた。しかし、合成時にランダムな歪みが発生することが判った。マーカー数を増やしてみたが、それを抑制出来なかった。石積み目地など、凹凸のある石表面でマーカーは見る角度でかなり変化する。そこで、路面を基準としてデータを作成し、それを頼りに石積面を合わせてゆく方法を実験した。
3-c 路面の撮影
路面が正確に合成できるように、撮影範囲の中央、手前側、奥側の計3つの距離にチョークによるマーカーを打った。画面には常時6点のマーカーが入るように撮影した。路面のマーカーは判別しやすく、作業効率は向上したが、合成してみると、今度は一定方向に歪みが累積し、全体が弧を描くように反ってしまった。この歪みが何に起因するものか、ソフトウエアを開発した会社担当者と協議したが、理由が判明しなかった。撮影の工夫によってこの症状を解決できないかをソフトウエアを開発した担当者と協議したが、解決できなかった。この問題は未だ解決されていない。

活動の課題

まず最初に、オオテとは何か、その定義がまだ明らかになっていない。それには、工法の解明が不可欠である。また由来において高見島以外の塩飽諸島の調査が必要である。オオテの現状については、高さだけでなく素材、積み方、工法の別による分析が必要である。集落の空間構造の分析では、集落の中心が次第に南下して行ったという仮説を立てたが、これを裏付けるような史料の収集を行わねばならない。3D 計測に関しては、このような歪みを補正するには、撮影しているカメラの位置を定義できるようなサブシステムから、画像処理によって得た点群の合成を補正するような仕組みが必要なのではないかと思われる。このようなハンドリングの良い空間測定デバイスがうまく使えるようになれば、フィールド調査やアーカイブの作成は各段に普及するのではないだろうか。低コスト化が図れる魅力的なシステムなので、引き続き問題解決に向けて検討したい。平成22 年、筆者は愛知県立芸術大学のアートプロジェクトチームのメンバーとして瀬戸内国際芸術祭に参加し、女木島の東浦の空き家となった民家を改修し、MEGIHOUSE を建設した。オオテを残し、その魅力を活かし調和させながら、改修した民家と相乗するような空間創造を試みたいと思った。この時初めてオオテと出会い、時を経て備わった風格ある石垣の魅力に大きな可能性を見、そこにデザインを構想することに大きな喜びを感じた。この研究はただ文化財を保護保存するためだけのものではなく、過去を活かして未来を築こうと考える人々のために継続したいと考えている。